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弓の歴史について
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弓は原始的なものであるから日本人のみならず世界のあらゆる人間がこの地球上に生存を始めたとき、獲物として鳥やけもの、あるいは魚類に至るまで狩猟の道具として発達したものであるから、世界の至るところにあったものと思われます。

民族の発生により部族の争いが生じ、やがて弓矢が戦争の道具として使用されるようになり、それぞれの民族によって特徴のある弓矢が工夫されるようになっていったのであります。

東洋では支那、印度はもちろん、満州、蒙古等で使用され、西洋においても洋弓として発達していったものと思います。

現在の日本の弓は世界に類のない長大な弓であり、重籐弓のように弦を巻いて装飾をほどこした弓は、その形のまことに美しく世界中にない尊厳性を持ったものであります。

富士宮地区の弓道の歴史といえば、皆様おなじみの浅間大社の例祭において奉納されます流鏑馬の行事がありますが、射は「日置」、礼は「小笠原」と言われておりますように弓道の射礼はそれぞれ専門の流派に伝承され、残念ながら地域の弓道家の参加は行われておりません。

古代原始より時代はずっと下がり源平による富士川の合戦、鎌倉時代の源頼朝による富士の巻狩りは有名であります。

近隣の三島大社における流鏑馬祭りも同類であり、頼朝以来七百年の伝統を誇り連綿として今日まで、毎年1月17日には雨が降ろうが雪が降ろうが実施されております同社の奉射祭には、当富士宮弓道連盟も昭和50年代より毎年1名ずつ射手として名誉ある奉仕をいたしております。

最近では富士の巻狩祭のイベントとして、弓道大会が催されたりもしておりますが、その意義は弓道家にとって重大であり、今後ますますの発展を期するものであります。

さて太平洋戦争敗戦後、小笠原清道、清信は一千年の家法を伝承し、本多利実氏は本多流を創立し、浦上栄氏は日置流を伝承し、祝部至善氏は竹林派武弓誌を発行し、魚住文兵衛氏は尾州竹林派を継承し、宇野要三郎氏は財団法人全日本弓道連盟を設立し、会長として全国組織の拡充を図ったのであります。

学生弓道について
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大学における弓道の歴史もまた古いものであります。

明治37、38年には東京に学生弓道連盟が結成されまして、大正時代には早稲田大学の土井彦太郎、国学院大学の本多利時、斉藤直義、東京農業大学の窪田武次郎、東京大学の北条憲政等が有名な射手として名をはせました。

昭和4年、日本学生弓道連盟が結成され、学生弓道の発展の推進力となりました。そして全日本学生弓道選手権大会、東西対抗王座決定戦等が行われました。

また、昭和10年代、当時の中等学校の正課となり発展いたしましたが、昭和20年の敗戦により他の武道とともに禁止の憂き目に遭いました。同26年の文部省による「弓道指導の手引き」が作成され、東京において指導者講習会が開催され、教職員ともども強化普及に努めてまいりました。昭和31年、高体連が結成され、その第1回大会には静岡県東部の沼津市立高校が男女ともに全国優勝をいたしております。

平成17年度 県大会優勝
県立富士宮東高 弓道部
右から 望月沙季 渡辺美帆 石川歩美
平成17年度 準優勝
県立富士宮北高 弓道部
右から 石川康啓 川上大輝 福田真志 清 亮輔

 

全日本弓道連盟について
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結成以来まず、組織、機構の整備を図り、事業として講習、競技、審査を三代基盤とし、段位、称号規定を制定しました。

講習においては、弓道の理念と基本体型の徹底を図られました。また、弓道教本の作成、弓道誌を発刊し、中央研修会、地区別講習会、学校教職員講習会等を実施し、戦後弓道発展に大きく寄与いたしました。

競技としてはスポーツ性も取り入れ、大衆的となり、楽しみ愛される弓道となってまいりました。連盟結成以来、全国弓道大会、全日本弓道選手権大会、同女子選手権大会、国民体育大会、全日本勤労者弓道選手権大会、全日本学生弓道選手権大会、全国高等学校弓道大会等を主要行事として行っております。

審査は段位の基準を明示し、権威ある機関の審査により厳正に行われており、中央審査と地方審査が実施されております。

なお、施設につきましても弓道人口の急増に伴い、立派な道場が続々と建設されており、伊勢神宮、明治神宮等の弓道場を初めとし京都御所内済寧館等おなじみの道場であります。

静岡県弓道連盟について
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明治28年4月に大日本武徳会が京都に設立され、武道の種目として本県でも支部がつくられ、著しい発展をしてきたが、終戦を迎え、20年11月文部省通達により弓道授業の中止があり、学校弓道も姿を消し、大日本武徳会も解散の憂き目を見ましたが、やがて武道禁止も解除され、昭和24年、松井政吉範士が県下統一を図るため、静岡県弓道連盟を設立し、県弓道発展の基盤を築きました。

富士宮市弓道連盟について
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ただいま富士宮市における体育協会加盟の団体は、万野原新田の琴平神社境内に道場を持つ琴平弓道会(会員60名)と浅間大社に弓道場を持つ浅間弓道会(会員40名)及び県立西高等学校(部員70名)、同北高等学校弓道部(部員50名)、同東高等学校弓道部(部員40名)、同富岳館高等学校弓道部(部員30名)等が連盟会長日原貞二氏を中心として富士宮市体育協会に加盟し、協会行事に参画し各種大会等を実施いたしております。


会長 日原貞二氏

 また、日弓連が主催する日本一を競う全日本弓道選手権大会(天皇賜杯)には静岡県代表として、北原修氏、深谷幸憲氏、笹原丈夫氏等が各年にわたって出場しており、県立富士宮北高等学校職員の渡辺武彦氏は全日本教職員弓道大会において個人優勝の栄に輝いております。

富士宮市弓道連盟は、昭和24年、県弓連が創立されるや直ちに弓道愛好者が集い、弓道会を設立し、常任理事として青山弥一氏、理事として池田源一氏(いずれも故人)を送り、富士宮弓道界発展の基礎を築きました。

二代岡田治良氏を経て昭和59年三代日原貞二氏へと引き継がれて今日に至っておりますが、日原会長は歴代会長の念願を受け継ぎ市営道場の建設達成を成し遂げました。

さらに弓道教室の開設に大きく寄与し、指導員として講師を派遣し、弓道人口の増加に努力されております。

尚、琴平弓道会々長笹原丈夫氏は平成15年~17年まで静岡県弓道連盟副会長、同東部地区会長を務め弓界に大きく貢献されました。

富士宮市における古武道会について
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近年、剣道連盟の井上真三郎先生の肝いりで富士宮の古武道として剣道(井上真三郎氏)、柔道(佐野忠雄氏)、弓道(日原貞二氏)、空手道(松村真孝氏)、少林寺拳法(後藤七郎氏)、日本拳法拳聖会(小林友清氏)が結成され、各流派の親睦を図りつつ日本古来の武道の精神の高揚と礼に即した武道の錬磨が図られています。

市営弓道場の建設について
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富士宮市弓道連盟歴代会長の念願は等しく市営弓道場の建設であり、弓道愛好者の悲願であり、熱い願いが込められておりました。

一般的に弓道場は、弓を射る「射場」と矢の着点である「 」とその飛来する空間という少し特殊な構造上のため、広大な敷地とその資金においてもこれを捻出していく上には大きな困難がありましたが、念願、天に通じていよいよ平成の時を迎え、富士宮市においても市民体育館建設の機運、大いに盛り上がり、合わせて弓道連盟より陳情いたしておりました市営弓道場の建設も関係各方面、滝川昇体育協会会長の強力な推薦をいただき、苦節30余年を経てようやく近隣市町に互しての建設にこぎつけました。

当局である教育委員会でも近年初めてのことであり、他弓場との比較等、見学、視察等ご熱心に推進くださいました。

もちろん、連盟といたしましても設計その他につきまして全面的に協力申し上げ、道場建設に向け邁進いたしました。特に連盟運営委員でありました赤池敏信氏にはその設計に当たって、専門的知識を広く教示され、設立に多大の貢献をされました。

平成2年4月8日、市民体育館のこけら落としに続いて、弓道場の施工記念祝賀射会が隣接市町富士市弓道会の応援出場をいただき盛大に矢渡し式が行われました。

今後、この弓道場を中心に各種大会、射法、射技の研修会、その他の講習会等が行われ、富士宮弓道界の一段の躍進と技術のレベルアップが図られるものであると期待いたしております。

結び 現代弓道について
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現代弓道は、猟具とか武器として使用するように実利の射ではなく、その目的は身体を強健にし、礼節、信義を重んじ、克己、謙譲、大和等の精神を養い、人格、感性の向上に役立たせ、自身の生活内容を豊富にすることにあると思います。いわゆる「射即人生」、「射即生活」といわれる由縁であります。

すなわち、弓道の基本体を言うなれば、内的には煩悩を去って生気をたたえ、誠を尽くす覚悟が必要であり、外的には体の構えにも起居進退にも隙がなく、自然体を保持し、作法にかなった体配が必要であります。

射と体配が一体になって初めて風格、品位のあるおのれ自身も納得し、見る人をして感動せしめ得る弓射が具現するものであります。

このことが理念の確立とか弓道が最高目標として掲げる「真」「善」「美」の顕現へつながるものであります。


市民体育館弓道場での練習

役員名
氏  名
会長(事務局) 日原貞二
副会長(体協理事) 佐野輝明


富士宮市弓道連盟役員