- 富士宮野球連盟
- 富士宮ソフトテニス協会
- 富士宮地区卓球連盟
- 富士宮市陸上競技協会
- 富士宮市バレーボール連盟
- 富士宮柔道会
- 富士宮剣道連盟
- 富士宮市弓道連盟
- 富士宮山岳会
- 富士宮市スケート協会
- 富士宮市ソフトボール協会
- 富士宮スキー協会
- 富士宮バスケットボール協会
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- 富士宮サッカー協会
- 富士宮市少林寺拳法協会
- 富士宮空手道連盟
- 富士宮市体操協会
- 富士宮水泳協会
- 富士宮市ゲートボール協会
- 富士宮市武術太極拳連盟
- 富士宮市テニス協会
- 富士宮市家庭婦人バレーボール連盟
- 富士宮市ゴルフ連盟
- 富士宮市ハンドボール協会
- 富士宮市グラウンド・ゴルフ協会
- 富士宮市インディアカ協会
- 芝川リバースポーツ協会
- 富士宮市合気道連盟
社会体育課の熱意あるご指導のもとに、松本喬様(元連盟会長)、渡辺卓様(初代会長)ほか諸先輩の皆々様のご尽力により、婦人バレーボール連絡協議会と称し、昭和54年5月23日に富士宮市立公民館で発会式が行われ、登録数76チーム、1,000名を超す組織でスタートした。
以前はごく少数のチームはあったが、各学校のPTAの親睦バレーボール大会が普及し、社会体育課が主催し、バレーボール連盟のお世話で大会が行われていましたが、チーム数が増加するにつれ、女性の地域スポーツとして独立するに至った。
その翌年、第1回市民スポーツ祭がスタートして主管するとともに芝川町との交歓バレーボール大会、富士市との交流試合、自主運営のための審判講習会、年2回のバレーボール新聞の発行等、順調に進んでいった。
56年度には婦人バレーボールは女性の手で運営をすることを理想として、女性運営に踏み切りました。
姉妹都市である近江八幡婦人交歓会に参加し、57年度には生涯スポーツとしてシニア大会が発足、58年度より、ゴムボールがなくなり軽量4号球に変わり、市主催の初心者バレーボール教室を主管することになった。
59年度には、軽量ボールから皮ボールに移行するチームが多くなり、実業団で鍛えた人たちが出てくるようになり、レベルアップにつながっていった。
63年度には、市長杯、ひのや杯、平成元年には新春バレーボール大会(旧郵便局長杯)と大会が増え年間9試合を消化する家庭婦人としては大きな組織になった。
その間、富士宮市公認審判員が誕生し、大会運営に大いに役立っている。
また、社会福祉としては雲仙岳義援金、毎年行われている児童の黄色い帽子寄贈基金に協力している。
平成5年度より名称を家庭婦人バレーボール連盟と改名し、種別を家庭婦人(皮)、婦人(軽量4号球)とする。春、秋と年2回の連盟会長杯の成績によって家庭婦人A、B、婦人A、B、Cとクラス別に分けて競技の普及と技術の向上に努めるとともに、大会運営の要である公認審判員の養成に年2回の研修会ならびに記録講習会を行い励んでいる。
平成7年度には、ひのや杯から岳陽新聞社杯となり、平成9年度には、芝川町とのシニア交歓会を再開する。
平成10年度には、より多くのチームが大会に参加し励みになるように、全試合出場チームを定期総会時に表彰。
平成11年度には、審判部が独立し、年2回の審判研修会、記録講習会ならびに公認審判員の養成に励んでいる。
また、高年齢化していることで、「60才フリー登録制(所属チームとの二重登録可)」を設け、一般チームでひとり足りないため大会参加できない時に、フリー登録者希望の場合1チームにつき1名参加できることにした。
平成14年度には、60才以上の選手でその都度チーム編成して、各大会(連盟会長杯を除く)に参加申し込みできることにした。
また、家庭婦人バレーボール連盟に貢献されました高山あさ江様が、岳南朝日賞スポーツ部門を受賞され、高山杯新春バレーボール大会を創立。
平成15年度には、市民スポーツ祭がいままで婦人(軽量4号球)の部で行っていたが家庭婦人(皮)の部を増やし2本化にした。
平成16年度には、60才以上の者は学区に関係なく、市内どのチームにも登録して自由に参加できる制度をつくる。
シニア大会は、市内大会、芝川町交歓会の2本化を芝川町交歓会のみとした。
また、組織として県連盟は家庭婦人(皮)のみであるが、富士宮市は2本化となっている。県組織に沿っていくために、婦人Aクラスで、連盟会長杯、春ならびに秋に連続優勝したチームは、次年度は家庭婦人に移行する制度をとりいれた。
県民スポーツ祭県大会出場チームを、家庭婦人Aクラス、婦人Aクラスの優勝チームを出場することにした。
最近の方はチームプレーを嫌うせいか、一番盛んな年に比べると年々チーム数が減ってきているのが現状ですが(登録数52チーム)、私たちは市民ひとり1スポーツを提唱し、家庭婦人として健全な精神の涵養とスポーツ人としての交流を図り、協調性と豊かな心を養い、地域スポーツの立役として生涯スポーツの育成に寄与して、さらなる発展と底辺の拡大に努めている。
年 度
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会 長
|
副 会 長
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事 務 局
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審判委員長
|
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昭和
54・55 |
渡辺 卓
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山内 泰
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小林正信
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四条忠男
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松浦里子
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|
渡辺芳江
|
外木久柄
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高山あさ江
|
||||
柏瀬良子
|
高野順子
|
|||||
56・57
|
小林光代
|
柏瀬良子
|
松浦里子
|
高山あさ江
|
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若林六栄
|
高野順子
|
|||||
内藤美波子
|
||||||
58
|
柏瀬良子
|
松浦里子
|
若林六栄
|
高山あさ江
|
||
石井和江
|
内藤美波子
|
|||||
高山きみ江
|
||||||
59
|
柏瀬良子
|
松浦里子
|
若林六栄
|
高山あさ江
|
||
内藤美波子
|
石井和江
|
|||||
60・61
|
柏瀬良子
|
松浦里子
|
若林六栄
|
高山あさ江
|
河西正子
|
|
内藤美波子
|
石井和江
|
|||||
62・63
|
柏瀬良子
|
松浦里子
|
若林六栄
|
高山あさ江
|
深沢和子
|
|
内藤美波子
|
石井和江
|
|||||
平成
1・2 |
柏瀬良子
|
松浦里子
|
若林六栄
|
高山あさ江
|
深沢和子
|
|
内藤美波子
|
石井和江
|
|||||
小笠原和子
|
||||||
3・4
|
高山あさ江
|
若林六栄
|
内藤美波子
|
深沢和子
|
松浦里子
|
|
小笠原和子
|
望月愛子
|
|||||
石川多嘉子
|
||||||
7・8
|
高山あさ江
|
内藤美波子
|
小笠原和子
|
松浦里子
|
稲葉隆子
|
|
石川多嘉子
|
深沢和子
|
赤石裕美
|
||||
9・10
|
高山あさ江
|
内藤美波子
|
石川多嘉子
|
松浦里子
|
佐野登志枝
|
|
深沢和子
|
稲葉隆子
|
赤石裕美
|
||||
11・12
|
石川多嘉子
|
深沢和子
|
河西正子
|
佐野登志枝
|
茂 惠子
|
小笠原和子
|
坪井ひさ子
|
||||||
13・14
|
佐野登志枝
|
深沢和子
|
河西正子
|
茂 惠子
|
稲葉由美子
|
小笠原和子
|
森 好美
|
勝亦里美
|
石井直美
|
鈴木則江
|
|||
15・16
|
佐野登志枝
|
森 好美
|
勝亦里美
|
茂 惠子
|
安田真由美
|
小笠原和子
|
鈴木則江
|
阿部和代
|
|||||
17
|
茂 惠子
|
森 好美
|
鈴木則江
|
安田真由美
|
後藤桂子
|
小笠原和子
|
下雅意由枝
|
吉川千鶴子
|
長谷川幸子
|
日 程
|
大 会 名
|
種 目
|
会 場
|
4月17日(日)
|
第30回岳南朝日新聞社杯
|
家庭・婦人
|
市民体育館 その他
|
5月29日(日)
|
第27回連盟会長杯(春)
(兼県スポ祭予選) |
〃
|
学校体育館
|
6月19日(日)
|
第11回岳陽新聞社杯
|
〃
|
〃 |
8月28日(日)
|
第26回富士宮市民スポーツ祭 |
〃
|
〃 |
9月25日(日)
|
富士宮市・芝川町シニア交歓会
|
婦人
|
芝川町B&G海洋センター
|
10月23日(日)
|
第27回連盟会長杯(秋)
|
家庭・婦人
|
学校体育館
|
11月13日(日)
|
第18回富士宮市長杯
|
〃
|
〃 |
H18年2月19日(日)
|
第4回高山杯
|
〃
|
市民体育館 その他
|
◎審判研修会
◇5月15日(日)家庭婦人 午前 8:30 ~ 11:30
婦 人 午後 0:30 ~ 4:00
◇9月11日(日)家庭婦人 午前 8:30 ~ 11:30
婦 人 午後 0:30 ~ 4:00
年 度
|
家 庭 婦 人
|
婦 人
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||||
優 勝
|
準優勝
|
三 位
|
優 勝
|
準優勝
|
三 位
|
|
平成11
|
黒田クラブ
|
バイオレット
|
||||
平成12
|
黒田クラブ
|
富士見ヶ丘
|
||||
平成13
|
富士見ヶ丘
|
|||||
平成15
|
黒田クラブ
|
富士見ヶ丘
|
||||
平成16
|
リズム
|
富士見ヶ丘
|
役員名
|
氏 名
|
会 長
|
茂 惠子
|
副会長
|
森 好美
|
副会長
|
鈴木則江
|
副会長
|
下雅意由枝
|
副会長
|
吉川千鶴子
|
事務局長
|
安田真由美
|